ぽっきーの囲碁人生を振り返ってみる③ 小学校卒業まで
どうも、ぽっきーです。うちの大学は課題もなければオンライン授業開始もまだということでかなり(というか一日中)自由です。朝起きられないのをそろそろなんとかしなければと思いつつやっぱり起きられません。
さて、今日は囲碁人生を振り返るシリーズ第三段ということでやっていきたいと思います。
前回左打ちに変えたぽっきー少年。このころからネット碁を打ち始めます。
初めて使ったネット対局場はGO-NETだったかな。GO-NET上の大会か何かでアタリに突っ込んで20子くらい抜かれた場面を鮮明に覚えています。辛かったですね、ええ。
小3か小4くらいのときに幽玄で打ち始めました。5段くらいだったような気がします。
小4のときには夏休み洪道場さんで1週間勉強させてもらったり、帰ってからはそこで教えてもらった福岡の道場に通ったりとある程度囲碁の勉強に時間(とお金)を使っていました。親に感謝ですね。
小学校高学年あたりから碁会所に行く頻度は減ってきました。ネットのほうが自分より強い人が多かったからです。自分より強い人が多い環境に常に身を置くのが大切な気がしています。今は良い時代ですね。野狐にはいくらでも自分より強い人(人に限らずか)がいますので。
小学校5年生のときに少年少女福岡県予選で初優勝、初めての全国大会に出場しました(予選リーグ一回戦負け)
倉敷こども棋聖戦ってこの年からできたんでしたっけ…?倉敷の全国にも出た…はず。
5年生の間全国で勝つことはできませんでした。
そして迎えた小学生最後の年、無事少年少女県予選を制し、全国でも予選リーグ最終戦を相手(現プロ棋士)のミスで拾ったぽっきー少年はよくわからないまま準決勝まで勝ち進みます。このときどうしてここまで勝てたのかいまいちわかりません。運がよかったんでしょうね。当時幽玄7段でした。8には上がれなかったと思います。
迎えた準決勝、軽くひねられて敗退します。3位決定戦もいいところなく負けで4位。ただこれは福岡県勢の小学生の部最高成績らしいので、ちょっとした自慢です(過去の栄光…)
印象に残っているのはこの後です。僕に勝って決勝に上がった選手(これまた現プロ棋士)が優勝を決めて戻ってきて、先に順位決定戦を終えて遊んでいた僕たちの横で決勝の検討を始めたんですね。「違うな」「こういう人がプロに行くんだ」と思ったのを覚えています。
一緒にやっても良い?と話しかけてみようかとよっぽど思いましたが、準決勝でボコボコにされていたこともありひよって言えませんでした。少し後悔。
ちなみに最後の二連敗が不満だったのか、入賞者の集合写真ではかなり機嫌が悪そうな表情をしています。興味のある方は日本棋院HPで探してみてください…笑
あ、倉敷こども棋聖戦全国大会は一次リーグで散りました。
そんなこんなで無事に成長したぽっきーは受験を経て中学校に上がります。
中学生編へつづく…